Monday, April 27, 2015
俺たちの時代
帰国後、『大岡昇平集』を読み漁っている。
大岡昇平は、太平洋戦争末期1944年、35歳で召集を受け、フィリピン・ミンドロ島でアメリカ軍の捕虜になった。その時の体験から戦後『野火』など数多くの作品発表している。その彼の書いたものは高校や大学の頃いくつか読んでいたが、実際に自分がフィリピンを旅してから今回改めて読み直してみると、たったいまフィリピンの日本人捕虜収容所から生還したばかりの人物から直接その体験談を聞いているように70年の時間が経過した今でも感じられる。
今月、村上春樹が、共同通信のインタビューで太平洋戦争について、日本は相手国が納得するまで謝罪を続けるべきという趣旨の発言をし、それに対し中国・韓国からは賛辞が、日本国内からは批判が噴出しているらしいことを最近知った。
確かに批判のための批判のような中国や韓国の対日批判については僕自身正直うんざりしているし、旅行中もそういう攻撃的な態度の中国人、韓国人旅行者と出会って辟易したことがあったのも事実だ。
しかし、よく彼らの話を聞いてみるとそうした彼らの発言の元になっている知識というのは、我々日本人が知っているそれと大きく解離していて、事実が歪曲、強調されているものも少なくはないが、それよりも圧倒的に僕らの側に知識が欠如している、あるいは日本国内で流通している加工された情報に依拠していることが痛感させられる。
その根っこには、我々自身もまた戦争の被害者であり、そこから今日まで頑張って復興を遂げ、国を作り直してきたというそのプライドがあるのだと思う。だから、70年も前のことを持ち出してついこの間起きたことのように話を蒸し返されてもという意識があるのだろう。
しかし、それは正しい態度であろうか? 先の戦争については日本はどこまで行ってもやはり「加害者」なのだ。そして、中国、韓国、それから東南アジアのや太平洋の国々は「被害者」なのだ。そのことはリテラシーを持って自ら主体的に歴史を学べば、あるいは日本が占領した国々を訪ねれば、誰もが気づく。そして明らかに日本は戦後教育のなかでそうした学びの機会から意国民を意図的に遠ざけてきたことも併せて自覚される。
ヤクザに因縁をつけられたような意識で感情的になる前に、あの時いったい何が起きていたのか学ぶ努力をすることそれが大切な気がする。そしてさらに言えば、謝罪というのはそれをする側がすでに済んだと思っていても、それを受ける側が納得するまでは完了しないことを我々は自覚しなければならない。それはけっして愉快なことではないけれど、その咎を受けるだけのことを日本はしてしまったのだ。それはもう70年以上も前の話で自分にはその責任はないと日本国民全員がそう開き直ったら、被害を受けた側の人々は憎悪を募らせことあるごとに批判的な態度をとるだろうし、忌まわしい歴史を乗り越えて友好関係を築くことなど決して実現しないだろう。はたしてそれが我々の望む日本の将来の姿であろうか。
僕はだから日本人が卑屈にペコペコするべきだと言っているのではない。賠償を追加してお金で解決しろと提言しているわけでもない。終戦時20歳だった人が90歳となる終戦70周年の今年、時間の経過とともに遠い過去の出来事として朧気になっていく事実が一人の人間の寿命の時間の内に収まっていて風化せずまだ残っている。もう一方で70年という時によって初めて得られる冷静さや客観性から獲得できるパースペクティブというものもあるだろう。我々はそういう時に自分たちがいま生きていることを自覚すべきだ。それは過去に囚われていることではなく、いま我々が立っている場所をより深く理解し、それがひいてはこれから我々が向かおうとする未来への指標となると思うと伝えたいのだ。
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