『恋愛のディスクール』
旅行者の僕にとってマニラの良いところのひとつは、その英語環境がしっかりしていることだ。たとえばマニラなら、ふとロラン・バルトの『恋愛のディスクール』の一節が気になっても、それなりの本屋に行けば、立ち読みでその部分を確認できる。もっともバルトは英語も翻訳だし、バンコクなら日本語で読めるのかもしれないけれど。「わたしがあの人を愛しているのは、あの人の属性(記帳された)のせいではなく、あの人の存在のせいなのだ」
「恋するわたしは狂っている。そう言えるわたしは狂っていない。わたしは自分のイメージを二分しているのだ。自分の眼にわたしは気のふれたものと映る(わたしは自分の錯乱のなんたるかを識っている)のだが、他人の眼にはただ変っているだけと映るだろう。わたしが自分の狂気をいたって正気に物語っているからだ。わたしはたえずこの狂気を意識し、それについてのディスクールを維持しつづけている」
ここにある「あの人」をあるいは「異国」に、「恋する」を「旅する」に置き換えてみることもできるかもしれない。
「旅」 を語ることの難しさ 、それから自分の「狂気」について考えてます。
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