何やら過去問のコピーに蛍光ペンでアンダーラインをひいたり、分厚い教科書をひっくり返したりしている。学生は皆女の子で全部で5名。その瞬間、突然デジャヴュに襲われた。
飽きっぽくてスマホいじり始めたり、友達が勉強している姿を撮影したりして落ち着かない子がいる。お腹がすぐ空いてクッキーを買いに行って勉強を中断する子がいる。何となく全体のリーダー格で友達の質問に答えながら黙々と勉強をつづける子がいる。それらを全部知ってる気がした。それが確信に近い理由のひとつはそのリーダー格の女の子がグループの中で際立って美人で凛としていたからだ。その印象も以前どこかでもったことがある気がした。
ふと彼女たちの使っている教科書に目をやりデジャヴュと感じたものの正体が判明した。その教科書のタイトルはModern Bood Banking & Transfusion Practice、「現代の献血と輸血の臨床」という本で、彼女たちは医学生で定期試験の対策にスタバに集まって一緒に勉強しているのだ。そう言えば、僕たちも以前、こんな風に集まってよく勉強し、その時も今のように戦隊ものの色分けキャラのようにそれぞれに役割や特徴があった。それを僕はデジャヴュと勘違いしたようだ。
フィリピンでは女性の方が男性よりたくましいとよくいわれる。妻が海外に出稼ぎに出て家庭を支えるというのはよくある光景だし、東南アジアに共通の怠け者の男性に対して働き者の女性という構図は、フィリピンにおいてはさらに一歩進んで、女性の自立にとどまらず社会進出という形で日本よりはるかに進んでいる(何せ女性大統領が生まれるくらいだから)。
そういう意味では、その医学生の彼女たちはフィリピン社会においてトップクラスの純然たるエリート予備軍で、その彼女たちの余裕と自信が、 隣のテーブルに座っている埃っぽいシャツに袖を通したサンダル履きの僕の鼻腔をくすぐる。
スラムの街路を歩くときに感じる視線と対照的に富める人たちは他人を無視することがみな上手だ。町中にたむろする貧しい人たち同様、僕の存在もその女子学生たちの視野から排除されているのを感じる。
さっきから彼女たちは輸血の拒絶反応のメカニズムに対して多少混乱した理解の議論をしているのだが、その正解を僕が知っているとは彼女たちは想像だにしていない。教えてあげるタイミングを見つけられないまま、その彼女たちが学生のうちからその優秀さゆえに未来の仕事で向かい合う普通の人々から知らず知らずのうちに隔絶していくことについて考えを巡らす。
しかし、与えられる課題を次々クリアし上へ上へとひたむきに登りつめ、その結果たどり着ける場所が自分自身と同じくらい他人も幸せるする場所とは限らないということを、まだ若い彼女たちは気づいていないように僕には見える。
貧困に伴う医療問題を本気で解決しようとするなら、医師になろうとする者の動機づけとその育成方法についてもっと議論を重ねた方がいいのではないかと思わずにはいられない。輸血の拒絶反応と格差社会の拒絶反応とが思いがけず繋がった不思議な時間だった。
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