Friday, April 17, 2015
ニック・ホアキン
マニラ市街戦から70年を経たマニラ市イントラムロスを散策していて、1995年2月に建立された祈念碑「メモラーレ・マニラ 1945」を見つけた。
その祈念碑にはこのような文章が英語で記されていた。
「罪なき戦争犠牲者の多くは名も分からず、人知れず共同墓地に葬られた。火に焼かれた肉体が廃虚の灰と化し、墓すらない犠牲者もいた。この碑をマニラ解放戦で殺された10万人を超える男と女、子供、幼児それぞれの、そしてすべての墓石としよう。われわれは彼らを忘れておらず、永遠に忘れはしない。彼らが、われらの愛するマニラの神聖な土となり、安らがんことを願う」
日本を名指しで避難することをせず、死者への悼みと未来への強い意志を誓ったこの美しい文章を紡ぎ出したのはいったい誰なのだろう? それがイントラムロスを訪ねたあともずっと気になり、やがてこの文章がフィリピンの国民的作家ニック・ホアキンのものであることを知った。
ニック・ホアキン Nicomedes Márquez Joaquín
1917年5月7日、フィリピン・マニラのパコ地区に生まれる。父親は英語、スペイン語の教師。幼少より母親に詩や物語を読み聞かされて育ち、やがて父親の書斎や国立図書館にに入りびたった。高校中退後、国立図書館で勉学に励むかたわら、マニラで港湾労働をし数々の臨時の仕事をこなし、その後「フリー・プレス」誌の校正の仕事を得、17歳の時から短編小説とルポを英語で発表。生涯に英語とスペイン語の60以上の著作を上梓した。2004年4月29日、サン・ファンにて没。
その彼の著作のひとつの Manila, My Manila: A History for the Young (1990)が読みたくてマニラ市内の書店を探し回った。いくつかの大きなショッピングモール内の書店ではどこにも在庫がなく、古本屋Secondhand Bookstoreをリストアップしてマニラ市内を歩き回る。
1945年2月のマニラ市街戦は、徹底抗戦の構えの日本軍の作戦により完全な焦土と化した。多くの一般市民がこの戦闘に巻き込まれ犠牲となった。その記憶を留めるものはあの祈念碑以外どこにも見当たらなかったが、逆にどの路地を歩いてもホアキンの碑文に記された言葉が僕の中でずっと反芻され、思いがけずホアキンに導かれ、普通にしていたら決して気づくことのない歴史の上に堆積したさまざまな表情のマニラ市街を一日中さ迷い歩くこととなった。
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